ふと思えばコンサル始めて4年です。最近コンサルの前半は技術的なテクニック、後半は人生相談になるようになってきました・・・。
そこで聞かれるのは「先生今まで何考えて生きてきたの?」「20代の時に失敗とか絶望したときにどんなこと考えてたの?」ってことで。
大体ワインバーとかで話しているんだけど、思いついたときに記事にしようと思います。
正直角度によっては悲劇にも喜劇風にも書けそうなんだけれど、一応テーマに合わせて書いてみようかな?
小学生時代~中学生・・習い事&習い事&外遊び
昭和の時代ですからね。小学校にはスマホはおろか、ガラゲーだって存在しませんよ?
だから毎日外遊び。ただ、習い事は沢山やってました。
水彩画・・・3~4年ぐらい?
・・・これ二科展の審査員だった近所のおばあちゃんが、引退して家で小さな絵画教室を開いたのがきっかけです。
うちの母ちゃんがパーマ屋さんに行ったときに担当の美容師が、おばあちゃん先生の娘さんだったのがきっかけ。
そこで話が始まって、「生徒いないんだったら私とウチの弟を習わせよう」ってことで、5000円程度で習わせてくれました。
華道もされていて、すげー人だったんですけど、外で遊びたいざかりの私にとって絵を習いに行くのはメンドクサイ・・・。
でも、そのおばあちゃん先生に習うと、いつも最後に「駄菓子」くれたからそれ目当てにチャリで通ってました。
大きな石庭のある庭を荒らしまくって、華道のスポンジに穴ぼこ空けまくって、さんざんいたずらしてもニコニコ笑って楽しんでくれました。
「こどもの絵は左手でないと優しい線が書けない」といっていつも私の下書きを左手でなおしてたのが印象的ですね。
遊び半分で習ってたけどいつの間にか絵が上手くなっていたみたいで、学校の賞をよくもらってました。作品は今後のためにと学校寄贈であまり自宅には残ってないです。
ピアノ・・・6年ぐらい・・ヤマハ教室
これが嫌で嫌で・・・後で言いますけど、少年野球やってたんで強制坊主でした。そんな私がピアノなんてやるはずもないです。
でも、うちの親が大きくなってからピアノ弾けたらどんなに素晴らしいかと思って習わされてました。
ホント練習サボりまくりだったんだけど、これまた先生に恵まれたのかも。元中学校の音楽の先生が結婚退職されていて、教え方が抜群にうまかった。
当時の神奈川の受験は「アチーブメントテスト」といのがあって中2でセンター試験みたいなものがある。
その対策で芸術系習えたのはうれしかっですね。今思えば美人の先生だったかも♡
少年野球・水泳
もうね、私たちの世代はサッカーじゃなくて野球なんです野球。朝四時に起きてマラソンさせられて地獄の練習でした・・・。
体罰アリ。水飲み無し・・・星飛雄馬の世界は現実です。
今なら絶対に訴えられるレベルのしごきですw
水泳も選手育成コースとかあって地獄・・温水プールも不完全で端の方はクソ冷たい・・・。
クロールの練習で足を縛るみたいなのがあって、疲れたら頭からおぼれるからコースロープにつかまっておぼれないように呼吸する・・・。
どんな練習やねん??って思うかもしれないけどこれ、当時普通ですからね?
小学校の勉強・・・読書のみ
とにかく勉強なんてしてないです。
というか両親教師だし、周りにも大学講師おおいし、家の中が図書館化してたので、勝手に本読んでましたね・・。
作家で言うとミヒャエル・エンデ・ロワルドダールがお気に入り。チョコレート工場の秘密とかですね。
推理ももちろん読破しまくり。科学雑誌も家にニュートン落ちてたのでオヤジの部屋から勝手に持ってきて読んでましたね・・・。
多分ここで、美術の基礎と言語的なものは磨かれたんじゃないかと思います。
中学校時代・・・札付きのヤンキー学校で部活と受験
・・・ギャグかと思うけど本当にヤンキーっていっぱいいたんですよね・・・。私は部活が超絶忙しく、(親父が一回倒れたんで弟の面倒をみていたというものある)
まあ、忙しくてグレる暇もなかったけど、ヤンキー友達超いっぱいいましたね。
血を流すようなガチンコの喧嘩もマジでたくさんしました。っていうか殴り合い当たり前の世界ね?
弱い奴は普通に殴られる。陰でこそこそLINEでいじめじゃなくて、教室の中で殴られるんです。
でもって体育教師に見つかって、校庭で気絶するまで殴られるみたいな世界です。
喧嘩強い奴がモテる。まじだよ?
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同時に受験地獄なんて言われてた頃で、受験はホント大変。でもバブルだったし受かったら、遊びまくれるんじゃね?っていう期待はありました。
何となく日本全体は伸びてる雰囲気。ここは今とは違いますね・・・。
正直徹夜で1週間すれば学校のテストでそこそこ以上は点数取れてました。暗記は超得意だったけど、テスト勉強に意味を感じたことはないですね。
得意科目は理科と国語・・・。この時までは理系の方が強かった。理科で学年5位以下になったことないんじゃないかなぁ・・。
校の勉強超絶つまんねーって思ってたけど、まあ、中学校ってそんなもんでしょう。
もちろんやりましたよ。参考書まとめ買いして全暗記。ネットなんてないし、そこまでカラー図解も精度良くないから全暗記。
以上終了ですw
高校・・・青春&勉強&勉強
当時のマガジンとか読むとですね・・・良い感じの恋愛ネタがちょくちょく挟まってくるんですよ。
なぜか「補欠でビリの自分をクラスで一番かわいい子が好きである」って設定から始まるんです。
しかも3秒に一回ぐらいすっころんでパンツが見える。
そして女の子から告白されてキスされる・・。
・・アリだな。
こんな高校生活はアリだ!って思いますよね?
やっぱりこういう都会の高校行こう!
「このヤンキー中学とはおさらばだ」と思って行ったらマジで別世界でした。
みんなグレてなく良い人ばかり。教室内で喧嘩なんておこらないんです!
学歴社会をこのころにかなり感じました。
場所が違えば人が違う。
良い人は良い場所にあつまる。
部活やりながら勉強というごく普通の高校生活送ってました。
まあでも割とクラスではリーダー的なことをまかされることが多かったです。
すげー校則ゆるくて成績良ければサボってもOK的な学校だったので、いろいろ悪いことしたなぁ・・・。
受験勉強は割と意識していて、東京のいい大学はいったらバブルの波にのってウハウハだから、そこだけはやらなきゃならないと思って、主要科目だけ勉強してました。
まだ、このころはガラゲーないからひたすら都会とかITとか知らない世界にあこがれて、いつか英語使って海外住みたいと思ってました。
流行ってた音楽はクラプトン。ギターブーム。
ピアノ習ってたからバント友達もできて楽しかったです。これ上手く弾く友達がいて本当に羨ましかったな・・・。
大学時代・・・モラトリアム暇人間&バイト人間になる
大学はマジで暇・暇・暇・・・もう夏休みとか暇すぎて死にそう。時間があってもお金がない人間状態。
サークルやったんですけど、結構体育会系で全国目指すみたいに中高でやってたので・・軟弱すぎてなじめず・・。
バンドも頼まれてはいったけど、基礎ができていない素人が大学デビューで入ってくるからイマイチなじめず・・・
かと言って推薦で入ってきたプロの人と一緒に部活をやる気にはなれず・・・。
で、そんな自分が嫌でバイト沢山してましたね。
家庭教師も効率よく家に3人呼んでしまったりして・・2500円×3人で時給7500円です。
そのお金を後輩に奢って覚えたてのお酒を飲みに行く毎日・・。
実はもっと早くから飲んでいたのは内緒の話。
・・・チャラい♪
・・・けだるい♪
・・・切ない♪
・・・予感だけの毎日が過ぎる。
はい堕落ですね・・・。最高だな堕落♡
だからインフルエンサーさんに、「大学なんて意味ない」って言われても、まあ、そうかもな?って思うこともありますね。
でもほら、サークルはいったり彼女作ったり楽しいことはあるよ?
・・完コピまで練習したねぇ・・・。でもこういう無駄って大学生ぐらいしかできないんですよ・・。
今、家でやってたら奥さんにぶっ飛ばされると思う・・・。
唯一勉強関係で続けていたのは小学生からの読書と英語。ピアノも続けてました。
ハマってたのは村上龍と村上春樹・・村上春樹は日本語版とペーパバックも大体読んだと思う。
なんか卒業したら海外行きたいっていうのはずーっと持ち続けてました。
いちおう語学系で有名な大学だったしね。
UKバンドの影響でいつか行くならロンドンへ(2回目の留学で大学に行くことになったの30位の時でした・・・)
日本文学とか世界文学とか歴史学とかとにかく新書もマンガも読みまくり。
YouTubeとか発達してないから外の世界をスマホでみるなんて考えられない。
だってiPhoneだって11程度じゃん。
バブル崩壊で人生に暗転・・・海外逃避を考える
私が何か悪いことしたわけじゃないのに・・バブルが弾けました・・・。
ずるくない?
ひどくない?
だって私の高校の友達は、高卒で東京電力とかに就職できちゃう時代。なのに就活時期を4年ずらしたら、採用0どころか倒産の嵐。
2020年の今でもこの記録は抜けず・・・・。
むかつきましたねぇ。ネットの転職エージェントもないからいちいち手書きで履歴書何枚も書く気が失せますね。
100社エントリーしたら100枚だぞ?手書き100枚・・・。
履歴書もエントリーシートもその他もろもろも全部手書きで修正液使えないですよ??
去年まで募集人数200人なのに、今年から1人とか舐めた採用です。
適当に商社とか入って遊びまくってやろうと思った壮大な計画が台無しです・・・
誰だよバブル崩壊させたの?後3年ぐらい待ってくれよ?って感じ(泣)
当時の自分が今のユーチューバーインフルエンサーとかみちゃったら、同じく変な行動取るかもしれません。
日本オワコン!!社会人オワコン!!って大学4年ならハロウィン時期のスクランブル交差点で踊りながら叫ぶかもしれません。
でもってバイト代を怪しいサロンにつぎ込むかもしれないっす・・。
バブルで人生が暗転したときの乗り越え方
で、ここにきてふと思うんですね。あの時自分はどう考えていたか?
「住む場所を変えればいいんじゃね?」
当時は今のようにネットに居場所があってつながれるなんてないから、本気で場所を移動するのが最適解に見えました。
でもって、卒業証書を友達にもらってもらって自分はオーストラリア留学♪
家庭教師のバイトしてお金貯めてましたから。
別にオーストラリアに住んで日本人をディスってやろうとかは全く思わなかったんだけど、単純に英語使って人と話して、景色を見て、(できれば金髪美女と仲良くなって・・・)
なんか考えていたはずです。
これは当たりでした。
中学⇒高校⇒大学と場所を変えたら人が変わったように不景気の場所から逃げたらどこかに好景気の場があるはず。
当時のオーストラリアはシドニーオリンピックで好景気。そこに行ってしまおうって感じですね。(というかネットの情報少なかったし…)
で、行ったら夢がいっぱいあった。本当に広くて心も穏やかて、公園が綺麗で・・ワインが安くて・・・・。
文化そのものが違って、人の見方も捉え方も違って、自分の学歴とかほぼオージーには通用しなくって・・・。
場所を変えたら楽しかった!!
だから海外に行きたいんですってコンサルメンバーに言われると絶対行ってきなっていまでも言っちゃいます。
弱った時は場所を変えてメンタル回復を最優先にさせることが最重要
で、最近のコンサルでもアドバイスしているけれど、売り上げがおちたりリストラされたり、病気になったり、人生が暗転しそうになったら、最優先で取り組むべきは
メンタルの回復です。
で、効果が一番出たのが物理的な場所の移動です。心の住処をかえるよりも場所を変えちゃった方が早かったですね自分の場合。
ココまでが大学生で1度人生が暗転したときの経験・・・そろそろ移動時間なんでつづきはまた別のときに・・。